ANA国内線【PR】

その時歴史がー

今日のあの番組見てました。
大阪夏の陣、冬の陣、そして巻き込まれていく民衆を中心とした番組内容でしたね。
あの屏風ははじめて見ました!(お恥ずかしいことに^^;)
今までの知識は、そのときの武将・兵器・軍の動きを中心にみていたので、
盲点といってしまえばそのとおりでした。
なので今回の放送は新鮮な感じがします。

そうですよね、戦場となる地は人の住む町。
そして雑兵は民衆…
村や町も、戦火に晒されて

「歴史は繰り返す」
前に何かで聞いた言葉でしたが、今回の放送は本当にそう思わせる感じがしました。
徳川が築いた何百年もの太平の世は、
その大半が戦国時代という民衆をも巻き込んだ凄惨な時代…
大阪夏の陣での悲惨な光景がその基礎となり「繰り返してなるものか」という平和を作ったのだと思います。

冬の陣が終わったあと、大阪城の要であった堀を埋められ
それをまた、豊臣が堀を作り直すことにより徳川への宣戦布告と見なされ
夏の陣が始まる。
でも徳川側は何もそれだけをみて軍を進めたわけではないでしょうね。
何か思惑があったはずです。
悶々…

時は流れ、
幕末、そして世界大戦。
また”その”時代が幕を開けて、それが礎となり今の平和がある。

すごく…
面白いです。
面白いといってはすごく変な感じですが、こう、考えをめぐらせているのが楽しいんですかね。
あまり言葉では言い表せられないのですが、本当に楽しいんですよ歴史を知るって。
激動の時代を探るって。

# by wwwnekomimi | 2008-06-25 23:00 | 戦国知識

戦乱の日本史

知っていますか?
最近小学館の週刊で雑誌が出ているのです。

わたしは戦国系(長篠・中国大返し・関ヶ原など)のみ購入して読んでいます♪

といっても、なかなかまともに読めないのですが…
一番熟読したのは中国大返しの回ですね。
なぜかと言われれば、単に小早川隆景が見たかっただけなのですが^^;

本能寺の変にて、明智光秀が小早川隆景(毛利家)宛によこした書状が、
本人に届く前に豊臣秀吉に読まれ、情報が先に渡ってしまった。
だから、豊臣はすぐに中国地方から引き返すことができた、という話は有名ですよね。

その後、情報を知った毛利家は追撃をすべきかどうかで兄弟の意見がわかれました。
毛利家二男 吉川元春は、このまま追撃すべきと進言。
三男 小早川隆景は追撃すべきではないと言い張りました。
このときに隆景は秀吉が天下をとることも予言していたようです。

隆景は豊臣が天下を取ると、このことを高く評価され、
毛利家の株をあげたということです。

このまま追撃していたら
豊臣の天下はないかもしれませんし
豊臣が天下を取ったとしても、毛利家に対する評価は低く、
運悪ければそこで途絶えていたかもしれません。

# by wwwnekomimi | 2008-03-18 19:33 | 日本史その他

各地の武将お祭り

あけましておめでとうございます?激しく今更ですが、本年もコソコソっと書いていきたいと思います。

さて明けて一発目のネタは、前回の「真田祭り」から関連したものです。
実は、真田祭りだけではなく、各地で戦国武将のお祭りって開かれているものなのですよ。

面白そうなので興味のあるお祭りをちょっと挙げておこうと思います(笑)

信玄公祭り【】武田信玄

真田祭り【】真田家

幸村祭【】真田幸村

政宗公祭り【】伊達政宗

謙信公祭【】上杉謙信

蘭丸祭【】森蘭丸

安土信長祭り【】織田信長

川中島合戦戦国絵巻【】武田軍&上杉軍

金沢百万石まつり【】前田利家

気になったのはこんなかんじですが、細かく言いますともっとありそうです(笑
運動神経に乏しいので、武将となって協賛するのは無理ですがすごく気になるので一度は見に行きたいなぁとおもいます。
お金と時間の問題ですね(´∀`)

# by wwwnekomimi | 2008-01-29 00:26 | その他

上田へ参ろうぞ!

ちょっと始めてみましたこの企画!
内容はというと、「○○へ行こう!」という企画を立てて実際には行かないというなんとも寂しい企画です(笑)
ちなみに、出発駅は東京駅にしております。
戦国を巡る旅行プランをかるーく立てるだけです。
まぁ、実際行きたい方は参考にしていただければ…という感じですかね。

それでは第一回は、タイトルにあるとうり上田へ行ってみよう!
ということで始めていきたいと思います。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★

旅行オススメ時期は四月下旬、丁度桜の時期がいいと思います。
仮に日付を立ててみましょうか…

企画決行日:2008/4/26~4/27

一泊二日が丁度良いですねー。
それでは観光プランに移ります。

目的地:上田城跡公園

これは絶対ですよね(笑)
桜祭りと上田真田まつりが開催されていると思うのでそれを目当てに話を進めていきます。
前回(2007年度)の上田真田まつりは四月の最後に行われているので今度もそうなのではないかと予想を立てています。(詳細が出たらその日付に変更するでもいいかと思われますよ。)
桜も丁度良い時期だとおもうので見て楽しむには十分だと思います!

東京からの行き方は、東京駅より長野新幹線で行きます。上田までだと3,260円だそうです。(2007/11現在)
大体10時ごろに東京を出ると11時半~12時前程度に着くようですね。
お昼ごはんは、せっかく信州まできたので蕎麦を食べておきたいところです。
上田駅近辺の蕎麦屋さんをさがしてみると一軒ありましたのでご紹介♪

昼食後はそのまま上田城跡へ!満開の桜と上田城を堪能しにいきましょう。
桜を一通り堪能できましたら、日ごろの疲れを癒しに、別所温泉外湯めぐりなんていかがでしょうか?
というわけで…

目的地2:別所温泉

上田駅から"上田交通別所線"で30分程度です。
真田幸村の隠し湯、というところもあるそうなので是非探してみたいものですね。
一日目の最後は、別所温泉にある宿泊施設にて翌日の祭りに備えてゆっくりと休みましょう…

そして二日目は朝から上田真田まつり!
朝は9:30から…少し早めについてるといいかもしれません。
上田真田まつりは午後3時までなので、できれば最後まで居て帰りたいですね~♪

お祭りの後はおみやげを買う時間を考えても6時には東京駅についていると、家でゆっくり休んで翌日は仕事に!学校に!といけそうです。(そのあたりは住んでいる地域によりけりですけれど…)

大河ドラマの影響もあって結構な混雑が予想されますが、やはり行ってみたいものですね。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★

最後に、このプランはあくまで架空のものです。
詳しい時間や、祭りの正確な日付はご自身で調べてください。
そしてやはり限りなく自己満足です。ご了承ください(^^;)

もっちょ

# by wwwnekomimi | 2007-11-21 23:39 | その他

家を守るために家を犠牲に

今回も真田特集をしようと思いましたが、今回は小早川隆景について少し語りたいと思います。
先日、伝記を求めて新宿の本屋に行ったのですが想像以上にお高いものだったので、今度図書館に頼み込もうと思います(笑

さて、小早川隆景といったら、毛利元就の三男でタイトルのとおり“家を守るために家を犠牲に”した男です。
隆景が小早川家の養子となり、その当主を務める頃はまだ毛利元就は存命で、その毛利直轄の優秀な水軍として活躍することになります。
厳島の合戦の時も、見事に大内水軍を破り、村上水軍を仲間に引き入れるなどその勝利に大いに貢献したといわれています。
また、毛利元就の死後、毛利輝元の時代にもその主家を支え「毛利の両川」と歌われたほどです。(「毛利の両川」のもう一人は、毛利元就の次男・吉川元春)
隆景は元就と似てとても頭がよく、元就亡き後はその知謀の限りを毛利家に尽くし支えてきたのです。そして、吉川元春引退後も隆景は数々の問題から毛利家を守ってきました。
秀吉が石見銀山の欲しさ故に、毛利氏に九州地方と中国地方の交換を申し出たときも、それを半ば脅しのように断ったのは隆景でした。秀吉の軍事力があれば強制的に毛利氏を九州地方に送ることは可能でしたが、何故それをしなかったか、といえば理由は幾つかあります。
一つは、たとえ銀山目当てに中国地方をモノにしたとしても、銀山自身は天皇の好意もあって毛利氏に任せられていました。これは元就が存命の時から、皇室に銀を送り届けていたからだといわれています。
そしてもう一つは、そのころ関東より北を平定できていなかった秀吉にとって、知将である小早川隆景は敵に回してはいけない相手でした。
もし、隆景が全力をもって秀吉と対峙するとなれば、ただでは済まされないでしょうし、これを好期にと、東北からも攻めの手が投じられる可能性が高かったからです。

そして毛利家の最大の危機は小早川家の次期当主、小早川秀秋にあります。
小早川秀秋こと金吾は、秀吉の甥の中でも暗愚で有名でした。

丁度その頃、毛利輝元には跡取りが居なかったのですが、その金吾を養子にと薦める動きが出ていたのでした。もしかしたら、毛利家を潰すことになるかもしれないと思った隆景は先手を打つことにしました。
金吾を、小早川家の養子にするということです。
やはりその頃、跡継ぎがいなかった隆景は、急いで…毛利の養子に金吾を迎えないうちに、秀吉にこれを伝えました。
小早川家といえば50万石を超える大きな家、秀吉は養子の縁組を快く受け入れ話は平和的に進んだそうです。

小早川秀秋となった金吾は、関ヶ原の戦いで豊臣を裏切り、徳川軍に勝利をもたらしたものの愚行が目立ち、その二年後には亡くなりました。
その死因も、暗殺説や家臣に殺された、自殺したとも言われています。
そして、もちろん、若い彼には跡取りもなく小早川家はそこで幕を下ろし、結果として毛利家を救ったのでした。

救われたほうの毛利家もまた、関ヶ原の戦いにて銀山を含め大半の領地を失うことになってしまいます。
もともと、輝元の策では西軍が勝とうとも東軍が勝とうとも毛利が残るという策を出して、それを吉川、小早川と共に遂行していました。
しかし、吉川氏は徳川に騙され、徳川の策に輝元も巻き込まれてしまったのです。
関ヶ原の戦いで負けた将軍を次々と処刑していた家康はもちろん、毛利も潰そうとしました。

毛利元就は毛利の家名を残すということを第一にと息子たちに常に言っていたといいます。

吉川氏は強く責任を感じ、己の領地を捨ててでも毛利の名を残すよう家康に申し出ました。家康はそれを聞き入れ毛利家の領地(周防・長門を覗く)と引き換えに、毛利を大名として残したのでした。

何とか家名を残した毛利家が徳川に復讐に出るのは江戸時代末期、討幕運動を起こすそのときになります。


もっちょ

# by wwwnekomimi | 2007-11-10 22:19 | 戦国知識

< 前のページ 次のページ >